塵芥溜のブログ

日頃の備忘録

o1,展示見学録/【企画展】文明開化とせとやき―近代前期の瀬戸窯と美濃窯―

展示見学録/【企画展】文明開化とせとやき―近代前期の瀬戸窯と美濃窯―

主催:(公財)瀬戸市文化振興財団、会場:愛知県陶磁美術館本館1Fギャラリー   https://www.pref.aichi.jp/touji/news/20211016setoshi.pdf

 

小生の居ます自治体でも、近代の陶磁器がなんだかんだ出土するので、参考になればと思い会期終了間際に、滑り込んで見学しました。

毎年(公財)瀬戸市文化振興財団の企画展を愛知陶磁でやっているようで、昨年度の企画展『磁器生産の成立と展開―江戸後期の瀬戸窯と美濃窯―』(https://www.pref.aichi.jp/touji/news/20201017setoshi.pdf)の展示物の量に圧倒されましたが、今年の展示も負けず劣らずの物量でした。

※上記のURLリンクは愛知県陶磁美術館のホームページより

 

企画展の大筋は、明治時代の瀬戸美濃の生産遺跡(窯跡)出土の陶磁器と、それらを使用していた消費地遺跡出土の陶磁器などを陳列し、文様の施文方法の変遷や紀年銘(作成年号記載)資料を織り交ぜながら、文明開化最中の瀬戸美濃の位置づけを探る展示内容でした。展示で個人的な目玉展示だと思ったのが2点挙げられる。

 

1つ目に、文様施文の技法である「型紙摺絵」と「銅版転写」の違いを実資料をそれぞれ展示されていた点だ。素人目で違いが分かるような展示解説も添えられていてわかり易かった。

近世前半には主流だった施文技法が、明治に型紙摺絵技法が一時期ながら姿を見せますが普及せず、西洋からの何度も使用できる銅版転写技法が明治時代後半の重要な施文技法だった。

実資料を見ると違いは一目瞭然で、型紙の方は、文様を彫り出した型紙を施釉前に塗る都合で、円や長い直線、交差する線があるとずれたりするので、必然的に点線で文様を表現する箇所を設けている。対して、銅版の方は、防蝕材を塗り文様を彫り出し、酸性薬剤を掛けて、彫った箇所が腐食したところに呉須を塗り、紙をかぶせ文様を写し取る技法だ。そのため型紙のような文様の制約もなく、銅版の耐久性もあったため、大量生産に向いていた。(岡本直久2021)p83-84。銅版の方が複雑な文様にムラが少ないように見受けられ、展示されているものには点線文様はなかった。

 

2つ目に、紀年銘のある陶磁器の展示である。1つ目の型紙と銅版にも関わってくるもので、従来、文献などから近代瀬戸焼の文様施文は明治15年(1882)に型紙摺絵技法が、明治20年(1887)に銅版転写技法がそれぞれ始まったとされていた。

展示されていた紀年銘のある陶磁器にはそれよりも遡る可能性がある資料が抽出されていました。型紙の方は明治15年1月にお寺に奉納した皿で、焼成はそれ以前の可能性があることを指摘されているほか、銅版の方は明治20年の皿があるため、明治22年の2年前には実用化されたと評価された(岡本直久2021)p94。

 

今回の企画展は見応えがある上に、立派な展示図録も準備されている。企画展の企画担当された方は、明治でも出土資料が限られる中で生産遺跡、消費地遺跡のそれぞれで集成し展示した苦労の賜物と思う。次年度の企画展が今からでも楽しみだ。ただ、大正以降の陶磁器を限定して展示するのは出土資料数が極端に少なくなるので、次年度の企画展は近代後期は取り上げないかもしれませんが、個人的には戦中の統制陶器までの流れを展示してもらえると面白いかなと思っている。

 

 

参考・引用文献

浅川範之2007「飯茶碗」の考古学 鈴木公雄ゼミナール編『近世・近現代考古学入門 「新しい時代の考古学」の方法と実践』p52-53 慶應義塾大学出版会

岡本直久2021「文明開化とせとやき―近代前期の瀬戸窯と美濃窯―」『令和3年度 公益財団法人瀬戸市文化振興財団 企画展 文明開化とせとやき―近代前期の瀬戸窯と美濃窯―』p83-84,94 公益財団法人瀬戸市文化振興財団【展示解説書本文】